冠二郎氏のエッセイ           


 弱きもの人間、欲深きもの人間、偽り多きもの人間。そして私はその代表的人間である。

ステージは恐怖の場であり、感動の場である。歌手は役者である。与えられた作品と役柄

に成りきって演ずる。正に演歌と言えます。それを観る客席と一体になった時、単なる見せ

物から、芸術へと高められる。私にとって、ステージは、肉体と魂の中に秘められたマグマ

の爆発である。ハングリーな生活、ハングリーな魂の状態の時、マグマは活動を始める。物

心両面に満足している時には、内面からの本物の爆発は起きないと思われます。その時は

演ずるに過ぎない絵空事で終わるかもしれません。虚構の真実という言葉がありますが、良

い作品と役柄を頂き、良く演ずれば、感動は生まれるかもしれません。私の唱わせて頂いた

歌の殆どは、演ずるものが多いと思います。そんな中で出逢った魂の歌、心の叫びの歌が、

私の内なるマグマと重なった時炎のように燃えあがる炎歌になる訳です。その瞬間は、時空

を越えて、忘我の状態であるとも感じられます。至福の時。

 下積み時代の売れない男性歌手の生活は、想像もつかないほど惨めなものです。筆舌で

は言い現わせません。今年でデビュー三十一年目ですが、その時の積もり積もったマグマ

が、今少しずつ音を立てて噴火し始めた気が致します。「苦労は買ってでもしろ!!」と若い

ときは言われますが、したくないものも沢山ある訳でして、「しなくて良い苦労はしなくてもよ

い」と思います。泥だらけになって命懸けでつかんだ歌手の道です。せめて、ステージに立つ

時だけは、私生活と離れて、変身して、光を浴びたいと切ないほど思うのです。ジキルとハイ

ド、狼男にも似ているかもしれない。ライトを浴びると、突然の変身。マグマ大使は今日も行く。

 私生活はサンバイザーをかぶって、パチンコ、競馬、麻雀、競艇、サウナ。腹が減ったら、立

ち食いうどんとカツカレー。面倒な時は、コンビニで牛乳とハムカツサンドを買い、中央線、高

寺駅ガード下で、自動販売機の間に頭を突っ込み、三分で終わる。

 そんな私の毎日です。


          ※平成十年 日大学園祭時発表のもの   許可協力 冠二郎のお母さん


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